学校沿革の概要
新在家校
明治 5年 7月 太政官の布達に基づき、田治米村正源寺本堂を借り受け、郷学校を設立す
明治 6年 5月 堺県布達に依り、泉州7番小学校と称す
明治 8年 4月新在家村円服寺本堂へ移転す
明治 8年 5月新在家小学校と称す
明治20年 7月簡易小学校設立認可を受け、三田1821番地の共有家屋を校舎に充つ
明治14年 10月公立新在家小学校と称す
明治17年 10月新在家村第35番地へ移転す
明治21年 4月新在家第90番地 川端新三郎宅へ移転す
明治23年 1月村立新在家簡易小学校と称す
明治26年 12村立新在家尋常小学校と称す
明治40年 5月新在家中川原へ新築移転す
三田校
明治 7年 4月 公立三田小学と称し、正楽寺本堂を借り受け校舎とす
明治15年 4月校舎を西教寺本堂に移し、明治20年の改正に至り、廃校になる
明治20年 4月村立新在家尋常小学校と称す
明治24年 2月三田1833番地に校舎を建築し、移転す
明治26年 12月村立三田尋常小学校と称す
山直校
明治41年 4月新在家校・三田校を合併し、山直尋常小学校と称す
明治43年 5月田治米460番地へ新築移転
明治44年 6月校地271坪を拡張
大正 5年 5月校地1反1畝16歩及び6畝10歩を拡張し、東校舎1畝(3教室)を増築す
大正 9年 4月山直尋常高等小学校と称す
大正14年 5月校地1反1畝22歩を拡張
大正15年 10月校地1反1畝25歩及び2畝19歩を拡張 12月に中央校舎1棟新築
昭和 9年 9月台風のため東校舎転倒、半壊など。2棟は直ちに修理。12月仮校舎を急築
昭和10年 4月校地1反5畝22歩を拡張
昭和10年 7年山直上下両村合併山直町制をを実施し、同年11月1日校名を変更し、山直北尋常高等小学校と称す
昭和11年 7月学務委員 吉元伊一郎氏ご真影奉安殿寄贈復旧校舎2棟を新築。更に前校舎を取り壊す。(本館及び使丁室、便所等取り壊す)
昭和12年 8月野上和三郎氏寄贈による講堂竣工式を挙ぐ(10日 建坪193坪2合)
昭和13年 7月講堂敷地1反2畝16歩、講堂前通路21歩を拡張昭和13年 12月校地1反1畝13歩、3畝23歩、1反1畝10歩、3畝21歩を拡張
昭和16年 4月国民学校令施行せられ、山直北国民学校と称す
昭和17年 4月岸和田市に合併し、岸和田市立山直北国民学校と称す
昭和22年 4月学校教育法施行により、岸和田市立山直北小学校と称す
昭和28年 7月校舎1棟(4教室)新築
昭和32年 9月講堂裏排水工事のため182坪1合2勺購入、PTAが支払い、同日市に寄付
昭和33年 1月特殊学級教室増築のため116坪購入1教室増築
昭和41年 12月鉄筋2階建 4教室(126坪)新築
昭和42年 3月中央校舎1棟老朽化につき取り壊す(大正15年分)
昭和43年 1月鉄筋2階建 2教室(524坪)新築
昭和44年 2月鉄筋コンクリート2階建(428.4坪)増築
昭和46年 2月鉄筋コンクリート3階建 普通教室2、特別教室3、準備室3を増築
昭和47年 2月鉄筋コンクリート3階建 普通教室12を増築
昭和47年 6月創立百周年記念式典及び行事を行う(30日)
昭和48年 2月給食室(209.02㎡)新築完成
昭和48年 4月校区変更により城東小学校へ2年生の一部が転校する
昭和49年 4月校区変更により城東小学校へ4年生の一部が転校する
昭和49年 7月鉄筋コンクリート3階建 3教室を増築
昭和49年 10月木造2教室(64㎡)取り壊し運動場を広げる
昭和50年 4月校区変更により、城東小学校へ6年生の一部が転校する
昭和59年 8月特別教室 8教室を増築
平成 4年 6月講堂・木造校舎お別れ式挙行、解体撤去
平成 5年 3月鉄筋2階建 8教室、並びに多目的室2教室を新築
平成 5年 10体育館・校舎増改築竣工記念式典を挙行(17日)
平成10年 10月コンピュータ室を改築
平成25年 耐震工事を実施
平成27年 給食室移設工事竣工 |